「民主主義」発祥の地のアテネ:アクロポリスの丘
世界史教科書に確実に載せられている写真のアクロポリスの丘を訪れる
ギリシャといえば、世界史で習うように民主主義が最初に行われた国でもあり、当時の日本と比べると大いに進んでいた、先進国と言えると思う。昨今では、ギリシャ危機として話題にもなり、やはり実際に訪れてみたかった国である。
この記事がギリシャ二日目ともなり、さっそく本丸とも言えるアクロポリスの丘へと向かうことにした。
初日は、こちら。
この写真が世界史の教科書で必ず出てくるアクロポリスの丘であり、下から見ると結構高さがあることに驚く。エジプトに行った時も思うことであるが、よくも当時、今のように技術がなく、つまりはトラック、マシーンもなく、主に人力に頼るしかない中、こんな建造物を作ったなと思ってしまう。その当時の構想力に脱帽してしまう。
この暑い中、ただ単に登るだけでも、一苦労なのに。。
これらは当時の建造物の残った石材たちである。
この写真からのわかるように、当時の劇場のようで、今でも使おうと思えば使えそうである。とりわけ、注目して欲しいのが、写真の中央にある椅子。
この椅子も石材からできており、椅子を石から作るなんて、相当な労力を要しただろうにと感心。
登り途中、景色が良かったので写真をパシャりと。
およそ4合目辺りの景色。遠くにはうっすらと海も見えている。
これがもう一つの劇場であり、今でも野外オペラや劇が行われているらしい。
その日は残念ながら、バカンス中とのこと。
そしていよいよアクロポリスの丘が近づいてきた、頂上までラストの位置。
さすがに有名な場所だけあり、辺り一帯観光客で、神殿と単独ツーショットは至難の技であり、さすが観光国ギリシャという感じの一例の写真。日本人観光客は数人いたぐらいでした。
21世紀の現在でもしっかりとそびえ立っており、石像の重さが、そのまま歴史の重さを感じさせられ、重厚感が伝わってくる。
一面の石材、一面の石材、一面の石材。
辺り一帯が、本当に石材ばかりである、果たして石材という表現がふさわしいのかわからないが、要は石だらけでした。
当時はこの山頂にいくつもの建物があったと思われるものの、こんな感じで大部分がなくなっている状態。あーあ!
結構修復中なのか、写真でも工事中の箇所がいくつかありました、それにしてもこのアクロポリスの丘にあるパルテノン神殿は本来の姿はどんな姿だったのだろうか、歴史が経過した故に、それだけ本来の姿とはかけ離れてしまっているのが残念。タイム風呂敷があれば、と何度も思ってしまう。
意外や意外、山頂からの景色は素晴らしく、アテネの街並みを眺めてみるには良いポイント。首都らしく、建物がびっしりと並んでいる。
アテナイ人諸君!と言ってみたくなる、この景色を見ると何故か。
夏の日差しがガンガンと照りつける中、山頂まで到達するのに、結構エネルギー要します。水は必須です。普通の観光地なら売店などがあるのが普通ですが、ここはないので注意。
いずれにせよ、旅の目的の一つでもあるアクロポリスの丘を見ることができ、満足。
ギリシャの国旗の色は青と白で描かれており、このアクロポリスの色も全体を白色の状態で残り、そしてギリシャの夏の雲一つない青い空、まさに国旗と同様の組み合わせ。
ずばり、ギリシャカラー!
2000年以上の時の流れにより、子供の頃にやっていたジェンガさながらの状態になっている柱もあり、ハンマーで横から叩いてしまえば、抜けなくもないそんな可能性すら感じさせる。
それにしても、このアクロポリスの丘。
一度は行ってみたいと思えた場所に来れて、幸いなり。