希望の国へのエクソダス
久日ぶりにメキシコから日本に戻ってきて、日本を眺めてみると、確かにゴミもなくきれいである。とりわけ空港から電車に乗った時、ちょうど平日の朝で通勤ラッシュでもあり、どんどん人が乗っていく姿を見ていると、なんだかとても不気味に思えてきた。
とりわけ電車の中が、とても静かであり、人がまるでロボットのように、感情もなく電車に乗っているように思えてきた。
毎日同じ時間帯の電車に乗り、そして会社に行き、そして家に戻って寝る。電車も概ね時間通りに到着する。社会を動かす分には申し分ない。
しっかりと会社で働き、世の中のために働くわけである。そこに何も悪いことはない、けれども一人一人の感情、思いの部分が無視されているように思える。
人がまるで機械のようで、感情もなく、ただ働くロボットのような印象を受けた。
その時、家族で帰っており、子供がちょうどグズリ車内で泣き出していた。
そのことに誰も何もいうわけでもなく、内心で「うるさいな」と思っているのだろうと思うと、一刻も早く電車をでたい気持ちになった。
「この国には何でもある。ただ、『希望』だけがない
これは、村上龍氏の小説「希望の国のエクソダス」のフレーズであるが、そのことをふと思い出した。
切実にどうにかこの国を脱出して、別の国で暮らしたいと思った。