アテネ滞在3日目で思うこと
ギリシャ:アテネの滞在にも慣れてきて、見方が変わってくる
ギリシャのアテネ滞在3日目ともなると、少しづつ街の新鮮さがなくなりつつあり、はっきり言ってだれてくる。初めての国に来た時の新鮮な気持ちが薄れて、めぼしい観光地は行ってしまった後であり、消化試合のような感じすらする。
前回紹介していなかった続きで、2日目の午後にはアテネ国立考古学博物館を訪れた。
ここの博物館は、ずばり面白かった。ギリシャの数々の遺跡から発掘されたものが集まっており、英国の大英博物館、フランスのルーブル美術館のようなギリシャの中心となる博物館。
ギリシャの歴代順に作品が展示されており、説明文を読みながら作品を読むことで、ギリシャの歴史も同時にわかってくるという仕組み。
その中でも一番興味を惹かれたのが、コチラ。
アンティキティ島の機械というもので、紀元前2世紀ごろのものであり、最古のアナログコンピューターとも呼ばれており、相当精緻な仕組みの機械であり、その当時にこれほどまでの技術があったという一つの証でもあり、研究されていたものである。
実際にこれについての説明された映像、再現した完成品があり、よくこんなものが
できたなと思う。そして、私は古代文明が好きで、古代文明となにかしら関係しているんじゃないかと、想像してしまい、ワクワクするものなのである。
躍動感がある、写真を撮ってしまった
音楽を聴く、女の子
そして、ここからがアテネ滞在3日目。
こちらが時代が少し後になり、ローマ時代に作られた凱旋門。それにしてもヨーロッパの至る所に、ローマ時代の遺跡が残っており、頑丈に作られたせいか、本当によく見る。これもその1例。今のEUはローマ帝国時代の再現、再来とも言え、再びローマ帝国を建築しているのではないか。そして、ある種ローマ帝国のと同様の問題を抱えており、それは移民問題。当時は他民族がローマ帝国を押し寄せてきて、それからローマ帝国の2分割が行われた。そして、今まさにそのような現象が開きつつあり、Brexitもまさにそれだ。
ゼウス神殿、当時は100本以上の柱があったようがら、現存するのはこれだけの柱となってしまった。時は過ぎ去るものであり、なんとなく儚さを感じてしまう。
ゼウス神殿から見たアクロポリスの丘
ゼウス神殿の柱の拡大図
国際展示場らしい、ゼウス神殿近くであり、観光地でもあったので一応行くものの、あまり心は動かされなかった。
こちらが2004年のアテネオリンピックで使用された会場。これがオリンピックの本場、寿司でいうならば築地とも言える場所であるが、思った以上に感動もなく、これが会場なのかーという感じだった。これも3日目の滞在故なのだろうか?
次に訪れたのが、ソクラテスなど偉大な哲学者が教えていたとされるアカデミア。
ここで以前教えていたのか!という感慨深いものがなく、なるほどーといった具合になる。そもそもギリシャの哲学にあまり馴染みがなく、歴史についてもイマイチであり、感動の欠如は、知識の欠如からやってくるものなのだろう。
日が暮れる前に訪れた最後の場所は、以前アテネで墓場として使用されていた場所。
こちらも観光ポイントらしい。
いくつかのものは保存状態が良く、よく残っていたなと思える
夕日に照らされたアテネの墓というものは、なんともセンチメンタルな気持ちになる。この夕日を古代のアネナイ人たちも同様に見ていたと思うと、時は過ぎ去っていくもの、同時に時が過ぎようと人は同じように生活しているなんてことをふと感じた。
なんにせよ、これからも人は生きて行く、生活していく、そして時は過ぎていく。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きありといった感じの夕日であった。