自ずと道はbonheur〜♪

写真を中心とした出来事、旅、備忘録を含めた写真家ブログ

日本語には尊敬語、謙譲語、丁寧語が存在し、そのことが心理的な距離を作っている。廃止すべき。(暴論)

日本語は、相手との距離を作るようにできているのではないか?

 

だから、なかなか距離が縮まらず、なんだかいちいち言葉に気をつけなくてはならず、
僕たちの無意識の中に、相手に失礼があってはならないように、言葉を選びながら
日々過ごしていると言える。

 

これって、21世紀になり世界が縮小化し、ボーダレス化している上で、かなり邪魔に
なってしまうんじゃないかと思う。

 

 

フランスの語学学校でフランス語を勉強しているが、同じクラスに年配の日本人がおり、フランス語を他の国の人も交えて、話す分には敬語がどうとか全く存在しない(実際フランス語にも尊敬語、謙譲語、丁寧語などあるのかもしれないが知らない・・)

だから、同じ立場で話せるから、話すことにフォーカスできると言えるし、ラクである。

 

しかし、日本人だけになると日本語で話してしまい、やはり年配の人だから言葉使いも丁寧になってしまい、心理的な距離も離れてしまう。

 

これって人間関係においては、結構損なことじゃないかなーとおもってしまうんだけれども、どーなんだろう。

 

もっと、日本語もフラットな言葉遣いにすることが、周りとより心理的に近づけると思ってしまう。