自ずと道はbonheur〜♪

出来事、旅、備忘録がてらブログに投稿しちょります。カメラ写真も

マラケッシュでどうしても飲みたかったモロッコビールを飲み、そして最後に締めには・・

モロッコはイスラム圏でもあり、アラブの雰囲気を当然醸し出し、それに加えてモロッコ本来の味も加わり、他のアラブとは異なる モロッコのマラケッシュには、多数の商品が売っている、通りがあることで有名でもあります。 そして、売ってくるおじさん達も、…

モロッコ・マラケシュの市場とモザイクさえ見てしまえば、ことは終わったようなものだ

モザイク文化とジャマ・エル・フナ広場を訪れてしまえば、マラケシュは制覇した マラケッシュの観光地の宮殿を訪れた後に、続いて訪れる場所が墓です。 日本の灰色な感じの墓とは打って変わって、モザイク調の墓なんです。 こちらの方が断然お洒落で、なんだ…

エキゾティックなマラケッシュの美しいモザイクがある宮殿に訪れてみた

モロッコのマラケッシュの観光地で訪れるべきとも言える、バビア宮殿を訪れました。 この宮殿も多数のモザイクが施されており、色合いやデザインの美しさをビジュアルから神秘を感じさせる力持っているなと、体感しました。

フランス語を勉強した成果を発揮するために、モロッコのマラケッシュへ訪れてみた!

日本からアフリカへ旅行へ行くとなると、距離的にも、そして心理的にも遠く、まだまだ訪れたことがない人が多いとおもいます。 日本人にはアフリカの国となると、雄大な自然、アフリカ民族、動物などのイメージがあるかもしれませんが、アフリカ北部になると…

バルセロナの食材・山・建物を着目し、探索してみた

スペインのバルセロナ。旅先でもっとも気になるといってもいいものは、食べ物。 そこで、訪れたのが市場の中でも有名な、ラ・ボケリアを訪れてみました。 ラ・ボケリア - Wikipedia バルセロナで食べられる様々な食材がざっと見れます。

バルセロナへ行ったのならば、海へ行くべき。その途中にはヌーディストビーチがあったりと・・

バルセロナの滞在期間として、適切な日数はどれぐらいでしょうか?私は結論から言うと、4日間あればメインとなるものは見れるかな、と思ってしまいます。 しかし、まだまだ忘れていることがひとつあります。

バルセロナの魅力を食の観点、建物・建造物の観点から着目した

旅行をする上で、一番と言っていいぐらい大切なことは食事。 そして、旅行先で食事をすることが、旅の醍醐味でもありますね。 スペインのバルセロナは、もちろん料理が美味しいです! 色々と食してきました。

はるばる暑い中、坂の上を登ってガウディーの作品があるグエル公園に訪れた

バルセロナの一番の人気といってもより、サグラダファミリアを観た後、 次に観たのは、サン・パウ病院へと訪れました。 こちらの建物はご存知でしょうか?

外側・内側をじっくりと観察!バルセロナのサグラダファミリアを訪れた

バルセロナ2日目に、一番の観光名所でもある、サグラダファミリアを 訪れました。 さすがに、日本にもその名をとどろかせるだけあります。 わかっていましたが、インパクト大です。

バルセロナでタパスを食し、ガウディーの建築物を眺めた、そんな旅

7月の中旬にスペインのバルセロナへ旅行しました。 空港からカタルーニャ広場までバスに乗り、到着。 これから、将来はスペインから独立し、ひとつの国になる可能性もある、 カタルーニャ。

エルサレムとパレスチナを歩き、旅した。見た。聞いた。食べた。

エルサレムの旧市街は、訪れる場所がメインだけを見るならば、2日あれば 十分と本に記載されていたりしますが、結構見どころは多いです、

エルサレムの宗教問題から切り離すことのできない神殿の丘、すなわちエルサレム神殿を訪問

エルサレムの訪れるべき場所は本当に多数ある。 歴史的にも古い町であり、現代でも問題を含んでいる町でもある。 さて、エルサレムの街を散歩すると、旧市街の道幅が狭いことがわかる。

パレスチナ自治区の聖地・イエスキリストが誕生したとされる、降臨教会を訪問

パレスチナ自治区でも、とりわけ有名な場所はイエス・キリストが 生まれた場所と言われている、ベツレヘムを訪れました。 このベツレヘムの降誕教会は、当然訪れるべき場所でもあり、 多くの観光客が列をなしていました。 降誕教会 - Wikipedia

パレスチナ自治区の荒野の誘惑・死海・最古の町エリコを訪れてみた

エルサレムへ訪問すると、必ず言っておきたいパレスチナ自治区。 エルサレムとパレスチナ問題は、宗教的、歴史的、地理的な要因から、 複合的な問題を孕んでおり、直接訪れることは、私たちに重要なことです。

エルサレムの嘆きの壁へ訪問後、安息日に突入!これぞユダヤ国家

こちらイスラエルのエルサレムの嘆きの壁の前です。 私は、この嘆きの壁聞いたことはあったものの、正直よくわかりませんでした。 Wikiを読むことで、これまでの歴史の流れを掴むことはできました。 ご参照に。 嘆きの壁 - Wikipedia

エルサレムのキリストの本拠地とも言える聖墳墓教会へ訪れてみた

イスラエルのエルサレムの街は、地域によって特徴が異なります。 歴史的には、以前はアラブ側が支配していたこともあり、ちょっと歩いてみると、 ガラッと雰囲気が変わります。

イスラエルの観光地エイラト〜エルサレムへと巡礼ではない旅行しました。

ヨルダンの紅海に面したアカバから国境を越えて、イスラエルの紅海に面した街 エイラトへとイスラエルへ入国。 https://ja.wikipedia.org/wiki/エイラート イスラエルへの入国は厳しいと聞いていましたが、特に 問題もなく入国することができました。

ヨルダンのワディラムで四駆で駆け巡るダイナミックな砂漠地帯の疾走!

ヨルダンの砂漠地帯を4駆で駆け巡るツアーに参加しました。 これがヨルダン滞在3日目。

満月のヨルダンのキャンプ地で泊まり、日本では見れない景色を眺める体験

ペトラ遺跡を一通り巡り、本日の宿へと移動しました。 ツアーの中では、ベドウィンのキャンプ地で1泊すると聞いていたので、 私は電気もなく、トイレも当然ない、家であって家でない場所に泊まるもの だと思っていました。

インディージョーンズの撮影の舞台・ペトラ遺跡を探求!

ヨルダン入国して2日目の朝。 ホテルのレストランから見る外の景色は、一面茶色の景色。 日本では山に自然があるので、緑色しているのが普通ではあるが、 ここは自然があまりないので、茶色。

モーセの墓があると言われているネボ山へ訪れたツアー。朝4時半集合、夜11時ホテル到着という過酷ツアー。

ヨルダンの第2の遺跡がある街ジュラシュを立ち去った後、 しばらくヨルダンの寂寥とした、岩がごつごつした砂漠の景色を 見ていること1時間半ほど。

ヨルダンのペトラに次ぐ遺跡のある街ジュラシュへ訪れてみた。

さて、ヨルダンに入国。 アメリカ人主体のツアーバスに乗り、まず向かった場所はジュラシュと呼ばれる、 ヨルダンの一番の観光地のペトラ遺跡に次ぐ、2番目に大きな遺跡がある 場所へと向かいました。

テルアビブからヨルダンへ入国!この間に2回もボラれるというツアー旅行。

イスラエル2日目。 これが後々振り返ると、一番ハードな日とも言えるのですが。。 朝3時半に起床、近くのホテルに早朝4時半に集合し、 本日はイスラエルからヨルダン旅行のツアーへ参加することに。

イスラエルのテルアビブでホテル滞在初日!

5月8日の月曜日にフランスのパリからイスラエルのテルアビブ空港へと 向かいました。 初のイスラエルへの入国。

トランプも訪れたイスラエルを始め、パレスチナ、ヨルダンへと約10日間の旅へ出る!

久々ともなる投稿となり、ここ最近も旅行に行っていたのですが、 時間とともに忘却しつつある。 そこでまずは、最近行った旅行先から改めて、ブログを再開してみます。 約1ヶ月前に、イスラエル・ヨルダンそしてパレスチナ自治区へと 旅行に行ってきました。

フィレンツェに滞在半日、ナポリの地へ再び!ナポリの方が旅行オススメです。

フィレンツェに到着した翌日の朝、少し散歩し、今日は どこを観光しようか考えていたものの、 常に違和感のようなものが、要はしっくりこない!なぜだこの感覚は?

シエナ→トスカーナのフィレンツェへと向かうイタリア旅行〜その19〜

イタリアのフィレンツェへ向かうべく、シエナからさらに北へと向かうことに。 次に訪れた街は、 サン・ジミニャーノ。 この街も世界遺産として認定されており、当時は最大70ほどの塔が作られており、 塔こそが権力の象徴だったようです。今では、いくつかの…

シエナという街は、これほどまでに美しいとは想像を超えていた〜その18〜

イタリアのトスカーナ地方のシエナ2日目。 本日は天気は良く、昨日の寒く、薄暗いシエナの街から一新。 綺麗な街だなと感じました。 街全体が薄茶色に統一されており、空の青色と雲の白色と三色カラーとなっていました。

ソレントから、あまり日本人が観光でいかないシエナへと、車で北上!しかし寒い〜その17〜

イタリアのソレントで宿泊。 ソレントという街は、よく知らないけれども、中学生の頃 《帰れソレントへ》という歌を音楽の時間に勉強し、ソレント という街の名前は知っていました。 このソレント、天気が良い時はアマルフィーと同様に綺麗な海に面しており、…

ポンペイの街を歩いていると、当時のローマ人も、今の自分たちと何も変わらないとわかる〜その16〜

ローマ時代にそのままタイムスリップしたかのような街、ポンペイ。 ポンペイの入り口から街へと入門。 家と家との敷居の壁が残っており、当時このポンペイには最大2万人が 住んでいたと言われており、立派な都市と言えるでしょう。